By KAMIKAMII


「盗賊王と踊り子」 

 月の神トトが姿を現してしばらくした時刻に、町の中心にある宿屋を兼ねた酒場に大きな袋を抱えた青年が入ってきた。髪は白く、なかなかよい身なりをして重そうな袋を片手で肩にひっかけたその姿は逞しい。冷たく印象深い雰囲気をまとっていたが、その時刻は店が最も忙しい時間で酔客がほとんどであったので、彼に注意を払う者はほとんどいなかった。店は賑やかで、音楽が鳴り響いている。奥では踊り子が舞っているらしく人だかりもできていた。
 この一ヶ月ほど彼は、彼の住む村から離れてその町まで一仕事しに来ていた。その間の宿は転々としていたが、ここ数日はこの店に腰を据えていた。
「お帰りなさいませ。何にいたしやしょう」
 彼が席につくと顔馴染の店員が近寄ってきた。
「なんでもいい、これで酒と食い物を持ってこい」
 そうぞんざいに言って青年が袋から取りだしたものを、店員に放った。咄嗟に手を出して受け取った店員は、自分の手のひらにあるそれを見て驚いた。輝きを放つ、小さいくせにズシリと重い黄金作りの指輪。それ一つで店の客全員の代価を払ってなお余り有るほどのものだった。
「へっへいっ、かしこまりましたぁ!」
 上ずった声で応えると、店員はこの上客の気が変わらないうちにと、そそくさと厨房へと引っ込んだ。しかしそれは知らぬが幸いだろう…あれは少し前の時刻に、血にまみれていた。よく見れば細かい細工のところに乾いた血がついていたのを見つけたかもしれない。もしあれを店員が売りに行けば一騒動おきるかもしれないが、そんな事は青年------バクラの知った事ではなかった。すでにたっぷりと稼がせてもらったこの町は、明日には出るつもりである。
 酒は先にすぐに運ばれてきた。その店で一番上等な酒を飲みつつ一仕事終えた充実感を感じていると、店の奥で歓声が上がった。口笛が鳴り卑猥な揶揄も飛ぶ。目を向けると、その騒ぎの中心で一人の踊り子が舞っているのが目に入った。
 踊り子が踊るたび肩で切りそろえた黒髪が宙を舞い、腕を振るたびその手首につけたブレスレットに灯がキラキラと反射して光の軌跡を描く。大胆なスリットの入ったスカートからは健康的な白い足がのび、むき出しの腕はしなやかで、申し訳程度に隠された豊かな胸は踊るたび揺れ動いて男の視線を誘った。気の強そうな整った面立ちといい、身体といい、その娘はバクラの好みにかなっている。かき鳴らされる竪琴と笛の音にのって、一心に踊るその姿は美しく、バクラの目を楽しませるには十分だった。
 しかしそれは突如として中断された。無粋な酔客が、踊り子の腕を掴んだのだ。
「何ですかっ、はなして下さい」
 踊り子が腕を振り払おうと身体をよじり、抗議している。しかも割り込んだのは一人ではなく、連れの男が四人ほどいた。音楽も止み他の客から批難の声が上がるが、酔っぱらった男達は普段肉体労働をしているのであろう、鋼のように逞しく大きい身体をしており、皆が批難の目を向けるものの誰も身体をはって助けに行こうとはしなかった。
「お客さん、困ります!!」
「うるせぇ、すっこんでろ」
 さすがに店員らしき者が間に割って入ろうとしたが、男達に突き飛ばされてしまった。
「やめてよ!!」
「いいからあんたはこっちに来て、酒の相手しろよ」
「何で私がそんな事しなきゃいけないのよ!!」
「へへっ、踊り子だったら、あっちの仕事もどうせしてんだろ。タダでなんて言わねえよ。一晩買ってやるぜ」
 そう言って男の指が踊り子の胸を指でつつくと、連れの男達が好色な笑い声を上げた、次の瞬間。
 パンッ!!
 高い音が店に響いた。踊り子が、男の横面を思いきり平手ではたいたのだ。
「何しやがる!!」
「こっちの台詞よ!! 馴れ馴れしく私に触らないで。この汚い手をさっさと放しなさいよ」
「てめぇ…」
 青ざめつつも勝ち気な女の声に、男の表情が変わった。掴んだその手に力を入れようとしたその時、その腕を別の誰かに掴まれた。ものすごい力で握りしめられて踊り子の手を放し、その腕の主の白い髪の毛が視界に入ったとたん、世界が反転した。
「うわっっ!!!」
 鈍い音をたてて頭から地面に叩き付けられた。打ち所が悪かったのだろう、男はそのまま気を失ってしまった。
「いきなり何しやがる!!!」
 気を失った男のかわりに連れの男達が、怒りをあらわにする。しかし白い髪の男…バクラは不機嫌そうに、動じることなく彼らを睨みつけた。
「うぜぇよ、お前ら」
 その一言に激昂してバクラに殴りかかろうとした男達だったが、夜の砂漠の凍てついた水よりも冷たい瞳に睨みつけられたとたん、ビタッと動きが止まった。いや、止められたのだ。目に見えざる力が彼らの身体を拘束し、首を締め上げられて声もでない。けれどもそれを見、何であるかを知る者はこの場ではバクラだけだった。バクラの操る精霊が彼らの自由を奪っていたが、精霊を見る事ができない他の者達には、男達が白い髪の男の人にらみでひるんでいる様にしか見えてはいない。
 バクラにしてみれば、こんな酔漢どもを殺してもよかったが、せっかく落ち着いて酒をのんでいるのだ、面倒くさい騒ぎは起こしたくなかった。
「せっかくいい気分で飲んでんのに、邪魔してんじゃねえよ。これ以上何もされたくなかったら、何も言わずさっさとうせな。わかったか?」
 そう言うと、男達全員そろったように狂った様に頷いた。すると彼らを拘束していた呪縛から解放された。
「…ヒ、ヒイッ!!!」
「待てよ、忘れもんだぜ!」
 恐怖で真っ青になって、脱兎のごとく逃げ出した男達に、バクラは失神していた男を恐るべき腕力で投げつけた。
「うわぁぁぁっ!!!」
 後ろから仲間を投げつけられて男達が転ぶと、他の客から歓声があがった。それに包まれながら、男達は失神した男の重い身体をひきずって、店から逃げ出した。
 バクラに対して、他の客から拍手が上がる。それに片手を軽く上げて応えて、薄く笑ったバクラに踊り子が近寄って頭を下げた。
「あのっ、ありがとうございます。おかげで助かりました」
「…あんたみたいな気の強い女は嫌いじゃないが、相手は選んだ方がいいな」
 バクラが忠告すると、踊り子は苦笑した。自分でも無茶だと思ったらしい。誰にも気づかれてはいないが、その手は少しだけ震えていた。
「これからは、そうします…自信はありませんけど」
 いたずらげに言って肩をすくめた踊り子に、バクラが思わずフッと笑いをこぼしたその時、人込みをかき分けてバクラとはさほど歳の変わらなそうなすっきりとした容姿の男が現れた。
「アンズちゃん!!」
「あ、オトギくん」
「ちょっと席を離れている間に何だい、この騒ぎは!?」
「ええっと、その、酔っ払いにからまれて、この人に助けてもらったの」
「絡まれたって……大丈夫かい!?」
「ええ、この人のおかげで」
「そうか、よかった。--------ありがとう、うちの踊り子が世話になったみたいだね」
 どうやらこの男は、この踊り子の仲間らしい。オトギと呼ばれた青年が丁寧にバクラに頭を下げたが、当の本人は妙な顔をしていた。気まぐれと自分の都合ではあったが、人を助けて感謝されるなどと彼の性分ではなかった。
「俺は踊りの続きが見たかっただけだ------------ほら、他の客も待ってるぜ。踊りを続けな」
「きゃっ!?」
 バクラがアンズのつけていた大きなピアスを指で弾いて、自分の席に戻って行った。その後ろでオトギがアンズと楽隊に続きを促す声がして、すぐに音楽と舞が再開される。
 バクラが席に戻ると、店員がちょうど料理を運んできた。ようやく飯にありつけるとがっつき始めたころ、オトギが彼の席に追いかけてきた。
「兄さん、お礼に一杯おごるよ」
 そう言いながら、バクラの対面の席に腰掛けて酒瓶を置く。
「上等の酒がたっぷりあるから、いらねぇよ」
 そっけなく断られたオトギが、バクラの飲んでいた杯を見て自分が奢ろうとした酒よりも上等である事を知り、苦笑した。
「あらら、まいったね。兄さん、景気がいいみたいだね」
「礼なんていらねぇから、とっととうせな」
 バクラが行儀悪くがっつきながら、うるさげにしっしっと手を振るが、オトギが気を悪くしたふうはない。
「そう言わないでお礼させてよ。それじゃあ------いい娘、紹介しようか?」
「あん? なんだ、娼婦の客引きもやってんのか?」
「まあね。例えば、あんな娘なんてどうだい」
 そう言って彼が親指でくいっと指し示したのは、先ほどの踊り子だった。
「へぇ、ありゃ商売女か。そうは見えねぇな」
 踊り子らしく艶めいた衣装を身にまとってはいるが、娼婦のような淫靡さはない。男の視線を奪うには充分な魅力があるが、それは健康的な美しさだ。夜の町角に立つよりは、陽の光のほうがよほどお似合いだ。
「彼女、まだそっちの商売初めて日が浅いからね。その分手垢がついてなくてキレイなもんさ。オススメだよ? 一晩これでどう?」
 そう言ってオトギが指を曲げて示した額に、バクラは片眉を上げた。
「金を取るのかよ」
 それは高い金額ではなかったが、オトギもいい根性をしている。
「世の中生きていくには、色々大変でね。あの器量だよ。さっき助けてもらった分をちゃんと差し引いて、随分安くしてるんだ。どうだい?」
 バクラは踊り子に視線を泳がせた。若く美しい娘の、弾けるような瑞々しい肢体……悪くない話ではあった。
「……まあいいだろう」
「よし、交渉成立だね。兄さん、この町の人かい?」
「いいや、仕事で来た。今はここに泊まってる」
「わかった。それじゃあ先に半額いただくよ。後は彼女に渡してよ。踊りの仕事が終わったら部屋に向かわせるからさ。兄さん、名前は?」
「バクラだ」
「じゃあバクラさん、今夜は楽しんで下さいよ」
 半金を渡した所で店員がまた料理を運んで来たので、オトギは見咎められないように席を立った。踊り子の舞い踊るその姿を見ながら、バクラは唇の端を上げて声もなく楽しそうに笑った。
 今夜は、いい夢を見れそうであった。
 
 
 
 ちゃりちゃりと、耳に心地よい金の音色が部屋に響く。バクラが部屋で、今日の獲物を確かめている音だ。宝石に彩られた金細工達は、さほど明るくない部屋の灯にすら反射して美しく光輝いている。
「クックッ、なかなかいいものをため込んでやがったな、あの男」
 盗賊の脳裏に忍び込んだ屋敷の、恰幅の良い主人の面影が浮ぶ。腕に自信のあった盗賊は、ろくな下調べもなしに裕福そうな屋敷に忍び込んだ。部屋で物色中に、その主人にとっては運悪く見つけられてしまった。叫び声が上がる直前に、バクラの投じた短剣が男の咽に突き刺さった。叫び声を上げる事もできず咽を押さえて転げ回る男に、馬乗りになると咽に刺さった短剣を引き抜いて、返すその手で心の臓に刃を突き立てた。絶命したのを確かめて立ち上がろうとした時に、咽を押さえた血まみれの指に金の煌めきがある事に気がついた。ご大層なその指輪を引き抜くと、死体の衣服で血の汚れをふき取って、持っていた袋に無造作に投げ入れる………それが、今夜の食事代になった。
 灯に手にした血を固めた様な紅玉髄と黄金でできた首飾りをかざしていると、扉を軽く叩く音が響き、高くて澄んだ…しかしどこか固い女の声がした。
「あの、バクラさん。さっき助けて頂いたアンズです。オトギに言われて来ました」
「ああ、扉ならあいてるぜ。入ってきな」
 ギイッときしむ音をたてながら扉が遠慮がちに開くと、約束通り先ほどの踊り子が入ってきた。後ろ手で扉を閉めると、バクラの手元を見て視線が留まる。それはアンズが見たこともない様な豪華な品だった。ちらりと見える側の袋の中にも、たくさん入っている様である。
「すごい…品ですね。宝石商でもされているんですか?」
「ククッ、まあ似たようなものだ」
 盗った商品だが、結局それを金に替えるのだから宝石商といえば宝石商だろう。そう思いながらふざけた返事をして、バクラは首飾りを袋にしまうと壁際の寝台に腰掛けた。
 踊り子は入り口近くに立って身を固くしたまま、動こうとしない。
「そういえば、まだこの商売を初めて日が浅いんだってな。俺は何人目の客だ?」
「………初めてです」
 小さくつぶやき踊り子は顔を反らして、肩かけを引き寄せるようにして自らを抱きしめた。その顔は少しひきつっていた。
「ヒャハハハハ、そりゃいいや!!! ほら、そんな所でつったってないでこっち来いよ」
 本当に、今日はついている。初ものと聞いて、それが好きなバクラは上機嫌になりアンズを手招きする。
 アンズは恐る恐るといった風にバクラの言葉に従って、近づいてきた。
「きやっ…!!」
 バクラが踊り子の手首を掴んで強く引いたので、彼女はバランスを崩して男の上に馬乗りになった。かっと頬を赤く染めた娘の顎を持って上向かせると、気の強そうな面立ちが今は脅えわずかに震えている。それを愉快そうに見ながら、バクラは囁いた。
「あんた、ついてるぜ。俺は気前のいい男だからな……満足させる事ができたら、礼は弾んでやるよ」
 バクラがアンズの腕を掴んで抱き寄せると、アンズの豊かな胸が逞しいバクラの胸板で潰される。その感触を楽しみながら、バクラはアンズの唇に口付けようとした。
「あっ、だ、駄目です、唇は…!!」
「ああ-----------そうだっけな」
 バクラは口付けるかわりにアンズの唇を指でなぞった。
 娼婦達は、見知らぬ男に身体を捧げて生きる糧を得るが、唇だけは恋人に捧げるのだと、客には許さない。しかしそれは建前だけと言う者も多かった。『あなただから』と唇を許し、男の優越感をくすぐる。それを商売の手段としているものも多いのだ。また、払いがよければ唇ぐらいなんでもないという者もいる。遊び慣れたバクラはそれをよく知っていたので、かえって無頓着になって忘れていた。
 しかしバクラはそんな娼婦達が好きだった。バクラの幼い頃の体験が彼の生への執着を強くしていたが、彼女達はドン底で生きているくせにしたたかで逞しく、生命力に満ちあふれている。だからだろうか、残酷・冷酷で通っているバクラも娼婦達には意外に優しかった。
「……あんたぐらいの器量があれば、普通ならまっとうに生きられるだろうにな」
 不思議なことを聞いた様に、アンズがバクラを見つめる。その男の目は少し和らいでいた。
「私は…踊りだけでは生きていけないから……」
「まあ、生きてさえいればいい事もあるさ。生きてさえいればこそ幸せにもなれるし、野望も、復讐も果たす事ができる」
 なにかを思いだし、噛みしめるような言葉にアンズは真摯にバクラを見つめ返す。
「野望、復讐…? それはあなたの事…?」
「-------さあな。今はそんな事より」
「ひゃっ!!?」
 バクラの手がぎゅっとアンズのお尻を鷲掴みにしたので、思わずアンズが身体を固くする。
「そんなに恐がることはねぇよ……優しくしてやるさ。俺なりにはな」
 何かを戸惑うアンズのその首筋にバクラは唇を寄せて軽く口付けて吸い上げた。びくりと身体を強ばらせた震えるアンズの背に手を回して、大胆な衣装のためにほとんど向きだしになっているその曲線を武骨な手で辿る。
「んっ…!」
 ざわざわとした感覚がアンズの身体に走り、それに耐えるようにして唇を引き結ぶ。男の上から下へとなでたその指先が、アンズの腰帯の辺りで固いものにわずかに触れた。なんだ?と思ったその刹那。
 ジャッ!!!
 何かを引き抜く音とともに、バクラの指先に鋭い痛みが走った。
「動かないで!!!」
 目を丸くするバクラの喉元に冷たい感触があった。アンズは腰の後ろに隠していた短剣を引き抜くと、すばやく身体を起こしてバクラの腹に馬乗りになり、バクラの喉元に押し付けたのだ。皮膚を切るか切らないかというギリギリで、バクラの咽にはその刃がわずかに沈み込んでいた。アンズが力を入れれば首が切れ、血が噴き出すだろう。
「おいおい、なんのつもりだこりゃあ?」
 だが、バクラは拍子抜けなほどに危機感のかけらもない声を上げた。
「やることやらずに、金だけかっぱらおうってか?」
 そんな女には見えなかったから意外である。だがそれは別に珍しい事でもなかった。もっともバクラ相手に成功した者はいなかったが。今もアンズの死角で、影が密やかにゆらめいているのを、アンズは気がついていなかった。
「あなたとは違うわよ、盗賊さん」
 その声は緊張を孕みつつも、自分の優位を確信して力強い。
「私は町の警備隊よ。バクラ、あなたを逮捕します。あなたには、十二件の強盗容疑と七件の殺人容疑がかかっています。怪我をしたくなかったら大人しくなさい」
「…まいったね、どうも。じゃああの優男もグルか」
「彼は私の仲間よ。あんたが、娼婦好きだって調べがついていたから罠をはってたの。…あの酔っ払い達は、予定外だったんだけど。それにしても平気で人を殺すあんたが娼婦には優しいって半信半疑だったけど……本当だったとはね。残念ながら、あだになったみたいだけど」
「まったくだ」
 ガラでもない事はすべきではないと言う事だろうか。珍しく優しい気分になっていたのだが……思わずバクラは自嘲の笑みが浮んだ。
「仲間達がこの屋敷を取り囲んでいるから逃げられないわ。私が合図をすれば、すぐにやってくるわよ……できれば、あなたを傷つけたくないの。抵抗はしないで」
 酔漢から助けてもらったのと、ふと見せた男の優しさにアンズは戸惑いを覚えてしまった。それで思わずそんな言葉をはいてしまう。それをバクラは面白い事をきいたと言う様にニヤリと笑う。
「そういえばさっきの罪状だけどな、ちょっと違うぜ」
「何がよ?」
「正確には十三件の強盗と八件の殺人さ、この町ではな。今夜もいい獲物だったぜ。たっぷりと稼がせてもらった」
「!! あなた…きゃあっ!?」
 何かざわりとしたものが、アンズのスリットから忍び込んできて、その素肌を這う感触に思わず悲鳴をあげた。アンズが嫌悪感に身を震わせたその刹那、暗やみから伸びた影がアンズの短剣を持つ手首をつかみ取った。
「痛…っっ、な、何っ!!?」
 腕をねじられた痛みでアンズは思わず短剣を取り落としてしまう。バクラは叫び声をあげようとした女の口を塞ぎながら押し倒し、アンズの上に馬乗りになった。
「んぐっ…!!! んーーーっ、んーーーーっっ」
「爪が甘いぜ、お嬢さん」
 アンズが手足を動かそうとするが、手足に巻き付いた不可視の拘束で完全に自由を奪われていた。そして新たにスルスルと見えざる手が伸び、アンズの首に目に見えない何かが巻き付いて総毛立った。
「大きな声を出すな。騒げば仲間が助けに来る前に、それが絞まって首の骨が折れるぜ。わかったな?」
 冷たい笑みを浮かべたバクラの言葉に、アンズがこくこくと頷くと、口から手が離れた。バクラが言ったのはただの脅しではないだろう。すると言ったら必ずする…そんな男に見えた。少なくとも自分を罠にかけた相手に、同情はすまい。
 アンズはバクラの見せた思い掛けない優しい態度につい油断してしまったが、この男の犯行の後を実際にいくつか見ていた。その手口は残酷で容赦がなかった。そしてこの男のこの力は何だ? 理解できないその何かに脅え、アンズは声を出す事ができなかった。
「…さて、どうするかな」
 バクラは拾い上げた短剣の腹で、悪戯げにアンズの乳房をぴたぴたと軽く叩くと、それにビクリと反応が返ってくるのが愉快だ。
 美人局程度をしかけてくるあたり、警備隊とやらはバクラの事をただの盗賊としか思っていないのだろう。それとも、知っていて甘く見ているのか。どちらにせよ、取るにたらない相手であるのには間違いあるまい…ならばこのまま少し楽しむのも一興だ。この女の触れられる事に慣れていない初心な反応、初めてだというのはきっと本当だろう。
「警備隊ってのは男をたらしこむために踊りの練習もするのかい。随分上手かったじゃないか」
「ちっ、違うわよ。私はもともと踊りが生業よ。でもそれだけじゃ満足に稼げないから……副業をしているだけだわ」
 小さい声でだがはっきりとした反論。この状況でも気丈な女に、バクラは愉快な気持ちになる。大人しい女は趣味ではなかった…これぐらい、勝ち気な方がいい。その方が嬲りがいがあるというものだ。バクラはこの女が気に入った。
「だけど、今のあんたは俺に金で買われてるんだぜ。もう前金はちゃんと払ったんだからな」
「あっ…!!」
 短剣の切っ先が、アンズの胸をおおっていた布と素肌の間に差し入れられ、そのまま上に切っ先を引き上げられて切り裂かれた。素肌が露になって、バクラの眼前にさらされる。バクラの黒い手が、その白い肌の上を這っていった。
「いっ、嫌っっ!!」
 形のよい乳房と吸い付くような肌の感触、そして嫌がる声にバクラは身体の内の熱が上がるのを感じた。
「嫌よ、やめて…!!! い…んぐっっ!!!」
 嫌悪感に思わず大きな声を出そうとしてしまった女の口を、バクラの手のひらが覆って封じる。
「クックックッ…」
 押し殺した笑い声をたてながら、バクラが唇でその白い肌を辿ってゆく。そしてアンズの足を持ち上げようとして、少しだけその足の拘束を緩めた。その隙をついてアンズは助けを求める様に咄嗟に足で壁を思いきり蹴った。
--------助けて、お願い気がついて!!
 すぐ近くに仲間が…オトギと、最後までこの計画に反対していたユウギ、その他の者たちが控えているはずだ。この部屋の扉には、わざと閂をかけなかったからすぐに飛び込んで来れるはずだ。なおも蹴ろうとした足をバクラに拘束される。
「おっと、行儀の悪い足だな」
 掴んだその足に口付けを落とされて、アンズの背筋にいいしれない恐怖と嫌悪感が走った。このままだと犯されて、その上殺されるかもしれない。目をぎゅっと瞑ったアンズの目から、涙が頬を伝った。
 その時、扉をノックする音が響いた。
「お客さん、お客さん? 騒がしいですが、何かあったんですか?」
 聞きなれたその声に、アンズはハッと目を開いた。間違いない、あれはユウギだ。
「何でもねぇよ」
 声の主に返事を返そうとバクラがわずかに身じろぎした瞬間、アンズの口をおおっていた手が少しずれた。その隙をついて、アンズはバクラの指に噛みついた。
「痛っ…!!!」
「助けて!! 助けて、ユウギ!!!」
「!? アンズ!!!」
 救いを求める声に扉が開かれようとしたが、その寸前にバクラの操る闇の手が扉の閂を掛けた。
 閉ざされた扉に体当たりしている様な音と、怒鳴る数人の男の声が聞こえる。
「チッ」
 舌打ちするとバクラは静かに組み敷いた女を見て、短剣を垂直にしアンズの胸の上にかざした。
(殺される!?)
 凍りつく様に見返して数瞬。
「……もったいないか」
 その切っ先は予想に反して反らされた。バクラはアンズから離れると荷物を取り上げて、窓辺へと向かった。
「ど、どこに行くのよ、ここは三階よ!?」
 この宿屋の窓の外には、足場になる様な場所はなかったのは確認済みである。死ぬ事はなくても無事とは思えない充分な高さがあるはずだ。殺されそうになった所だが、思わずアンズは叫んでいた。
「こんな所から落ちて、無事じゃすまないわよ!!」
「俺の心配するのか? 変わった女だな」
 バクラは窓縁に足をかけた足を止めて、いまだ拘束したままのアンズの側に戻ると、上体だけかがみ込んでアンズの鼻先でその顔を覗き込んだ。
「優しすぎるな、あんた。踊り子はともかくその副業は向いてないぜ」
「放っと…っ!!?」
 唇に吐息とぬくもりと押し付けられるような感触。アンズは口付けられていた。驚いて固まるアンズから、唇を噛まれる前にさっとバクラは離れた。
「あんたは娼婦じゃないから別に構わないよなぁ?」
「なっ、なっ…」
 口をパクパクさせているアンズを見て、バクラはクックッと笑いをこぼす。
 その間にも扉への体当たりは続いていて、今にも壊れそうだ。それはバクラの精霊によって内側から押されているためいまだ開かなかったが、木の扉の耐久力の方が限界に近づいていた。別に、警備隊の者たちが入ってきたところで殺せばいい事だが、そんな気にならなかった。このアンズに、毒気を抜かれてしまったからかもしれない。
「払った分には足りないが、これで前金分はチャラにしてやるぜ」
 バクラは踵を返し窓際に寄ると、その縁に足をかけた。
「バクラ!! もう顔は知られているんだから、どうせ逃げられないわよ!! やめなさい!!」
「俺を捕まえる? あんたがかい? そりゃ無理だな。できるもんなら追いかけてみろよ」
 その時、アンズを拘束していた何かがかき消えた。アンズは慌てて肩かけを引き寄せて胸元を隠す。
「あばよ」
 そう言ってバクラの姿が、窓の外に消える。その時、扉が半ば壊れながら開いた。
「アンズ!!!」
「アンズちゃん!!!」
 二人と、さらに数名が飛び込んできた。
「アンズ、大丈夫!!?」
 駆け寄って来たユウギ達に窓を指さしながらアンズは叫んだ。
「あいつ窓から飛び降りて…!!」
「ここから!?」
 オトギが慌てて窓から身体を乗りだした。店から漏れ出す灯で道は視認できるほどには明るかったが、そこにバクラの姿を見つける事はできなかった。
「ユウギくん、アンズちゃんの事は任せたよ!」
「うん!!」
 オトギは警備隊の者を連れて、バクラを追いかけて行った。部屋に残されて、アンズは幼なじみに震える身体でしがみついた。
「アンズ、大丈夫?」
 おろおろとした声が、アンズの耳に響く。それに黙って頷きながらアンズは唇を噛みしめていた。襲われかけた恐怖や助かった安堵より、受けた屈辱による怒りがアンズの心を占めていた。
------俺を捕まえる? あんたがかい? そりゃ無理だな。できるもんなら追いかけてみろよ--------
 どこまでも、人を馬鹿にした男。
「あいつ、許さない…!!! 絶対掴まえてやるんだから…っ」
 それは強くても小さな声で、ユウギに聞き取る事はできなかった。
 
 
 バクラが側近くにいる事に気がつかず、警備隊がバクラを探しだせと怒声を上げながら駆け抜けて行く。
 それを闇の中から見送って、バクラは先ほどアンズに噛まれた指先を見た。かなり強く噛まれて出血し、まだ血が出ている。
 じくじくと痛むそれに唇を寄せて嘗めると、自分の血の錆びた味だけで、アンズを感じられるものはその歯形ぐらいしかない。
 そういえば、誰かに傷つけられるというのは久々であるし、女にというのは初めてかもしれない。それに誰かに心配されたというのも随分以前だった気がする。
 煌めく瞳に強い意志を宿しているくせに、盗賊に情けをかけてしまう可愛く馬鹿な女。男の視線を奪う見事な肢体なのに、まだ誰の手垢もついていない瑞々しいその身体。そのアンバランスさがバクラの興味を誘った。
「追いかけて来ねえかなぁ?」
 そうしたら、面白いことになりそうなのに。そう思ってつぶやいてしまったが、これからバクラはこの町を離れるつもりなので、きっと会う事はないだろう…。少し残念な気持ちになりながら、闇の中を歩き出したバクラだったが、その時はまさかアンズが何度もしつこく追いかけて来る様な事になるとは思っていなかった。
 そしてまた、盗賊王の心をわずかなりともすでに盗まれている事にも、気がついてはいないのだった。
 
 
                                  END

 
KAMIKAMII's COMMENT

バク杏アンソロ参加作品です。アンソロの方が完売して随分たってますのでサイト掲載です。

えーと、エロなしという事でしたが。
私のやつはなんか「ギリギリ」でした(笑) ていうか私にバク杏かかせてエロなしで行けという方が…無理ですからー!(おいっ)
名前に無理がありますが、そこらへんは笑って見逃していただければこれ幸い。

これ書いていた時はベリーダンスというものがどういうものなのか全く知らなかったのですが、その後トルコ料理の店で偶然にベリーダンスと遭遇!
いやぁ、すごいダンスでした。胸の筋肉を使って胸をくいっくいっと動かしたりとか(笑)
もしバクラの前で杏子がベリーダンスでも踊ろうものなら……想像だけでご飯3杯行けます(意味不明)

 
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