FROM ERIKO-sama

「星は廻る」

「大丈夫、きっとまた会えます。」
根拠のない事を常と変わらぬ落ち着いた口調で断言して。涙で潤んだ・・の瞳は永遠に閉じられた。


西暦200X年、日本。
「………」
朝、邑(ゆう)は洗面所の鏡の前で溜息をついていた。顔の横でくるりと巻いた髪を弄ぶ。この癖っ毛は生まれた時からのものだったが、彼女は少しばかりの不満を持っていたりした。櫛をいれた髪にゆっくりとヘアアクセサリーを飾りつけていく。
(この髪も決して嫌いではないのだけれど…もっと癖がない方が良かったな…)
サワ… 
優しく吹き抜ける風。思い出されるのは果てしなく続く草原。地平線の彼方に沈みいこうとする夕陽。空はまるで燃えあがっているかのように紅く染まり。その身に風を纏わせた人は、紅く染まった世界においても尚漆黒の輝きを失わぬ癖の少ない髪をサラリと揺らしたのだ。
(…違う…こんな光景、私は知らない)
邑は地平線まで続く草原など見たことがないし、あれほど紅い夕焼けだって同じく日本では見られないだろう。何よりも――。
(あんな人知らない)
邑がたまに見る白昼夢の唯一の登場人物。そう、これは白昼夢といっても差し支えないものだった。邑の気が緩んだ一瞬、何気ない、ちょっとしたことをきっかけに見る夢。いつもこの夢は邑を切なくさせた。なんだかとても大切なことを忘れてしまったような、自分が今たった一人であるような、そんな気持ちになってしまうのだ。涙で潤んだ瞳を瞬かせて、邑は呟く。
「…馬鹿馬鹿しい…」
これはただの夢だ。自分はこんな古き良き時代を懐かしむようなノスタルジーを持ち合わせる程大人ではないし、一人ぼっちなどでもない。優しい両親や、気のおけない友人たちがいる。それでも何かが足りない……誰かがいないと思ってしまうのは……自分の強欲な心が感じさせる幻に過ぎない。今、邑はこの上なく幸せであるのだから。温かい人たちに囲まれて、平穏な日々を送る…これ以上の幸せがあるはずがない。だから、白昼夢の「彼」は実在しない。――どこにもいない。その事実に悲鳴をあげる心から目を逸らし、邑は洗面所を後にした。

 

学校から帰った邑はベッドに倒れこんだ。スプリングが軽く軋んだが、そのようなことを気にする余裕などなかったのだ。
(最近多い……)
邑は例の白昼夢に悩まされていた。以前は一ヶ月に一度見るかどうかであった白昼夢を、最近は毎日のように見るのだ。今日などは学校で見て、そのまま倒れてしまった。周りの人たちは邑の様子がおかしいのには気がついていたが、邑がそのことに触れたがらないのを知ってか、そっとしておいてくれる。
(どうして……?)
こんなにも幸せな日常を過ごしながらもあの白昼夢に心奪われている自分が許せなかった。自分を心配してくれている人たちにすべてを話してしまえばいいのだ。そうすれば、この夢は「不思議な夢だねえ。」という皆の一言で終わる。そしていずれ夢も見なくなり、もとの平穏な日々が戻ってくる。そんな気がするのに……それが出来ないのは……夢で終わらせたくないから。あの漆黒の「彼」が現実には存在しないと思い知りたくないから。
(なんてくだらない)
己を嘲って笑おうとして…失敗して涙が零れた。泣くのなんて随分久しぶりな気がして、子供のように大声をあげてしゃくりあげる。頭の隅っこで少し照れくささを感じていたが、ちょうど両親は留守にしていて、一人きりだったので構わないことにした。今日は「彼」を想って思う存分泣くのだ。今まで我慢してきた分も含めて。そのかわり。両親が帰って来たら、「彼」のことを話してしまおう。そうして「彼」を本当の夢にするのだ。
「ふぇ……」
考えるだけでも悲しくて、何度目かの嗚咽を漏らした時。一陣の風と共に。
「……しばらく見ぬ間に随分と泣き虫になったのう。」
邑一人しかいない筈の部屋に古めかしい言葉遣いの少年の声が響いた。
「……!!!」
すぐさま起き上がり、誰?と言いかけて、そのまま邑は固まった。ベッドのわきに立って邑を見下ろしていたのは、夕陽に照らされた漆黒の少年。――「彼」だった。
「本…物?」
邑の問いに「彼」はにやりと笑って手を差し延べた。
「確かめてみるか?ほれ。」
おそるおそる触れた手は…温かかった。意地悪な口調とは対照的にそっと握り返してきた手の力も優しくて……それだけでまた涙が零れた。
「本当によく泣くな。」
そんな言葉と共に腕を曳かれ、次の瞬間邑は「彼」の腕の中にいた。
「捜した。」
邑に囁いた言葉は少し掠れていて。それは言った本人にとっても不本意なものであったのか、少々眉を顰めた。
「転生をした他の者たちには早々に会えたというのに、おぬしだけは見つからぬ。…正直いってあせった。」妲己の陰謀かのう、まさか日本に転生しているとはな…どこか遠くを見ながら呟いて、「彼」はまた邑に視線を戻した。
「しっかし、見つけ出すのに三千年もかかろうとは…流石のわしも予想外であったよ。」
え、と聞き返す間もなく「彼」の口から紡がれたのは。
「約束通りおぬしを迎えにきた、邑姜。」
邑姜。その名を耳にした途端、封じられた筈の記憶が溢れ出した。遠い遠い昔、古代中国。国が殷から周へと替わる移行期にその名を持つ女性が存在した。後に周の初代皇帝武王に嫁ぎ、国母となったひと。羌族統領呂邑姜。――「私」だ。同時に思い出した名前。
「太公望…さん…?」
白昼夢のたった一人の登場人物。今、目の前にいる人の名を邑―邑姜は呼んだ。「彼」―太公望は泣きそうな顔をして微笑った。


 時代は周。すべての戦いが終わり、太公望が邑姜の前に再び姿を見せた時、彼はもとの彼ではなくなっていた。自らの肉体を失い王天君との融合を果たして、太公望は伏羲と呼ばれる存在になっていたのである。それでも心は太公望のままで、その心が望むままに邑姜に会いにいったのだった。共に過ごすうちに抱いた想いを告げるために。再会の場所は城外の草原。地平線まで続く一面の緑は羌族として暮らしていた頃のことを思い起こさせた。邑姜も同じようなことでも考えているのか無口になっていた。太公望は意を決して口を開いた。
「戦いは終わった。武王は良い王となるだろう。もうこの国に憂いはない。」
ここで一旦口をつぐんで空を眺めやる。夕陽が世界を紅く染めている。まるで燃えあがっているかのようだ。黙ったままの邑姜に告げたのは…
「わしはこの国を離れ、旅にでようと思う。…おぬしもついて来ぬか…?」
これが太公望なりの精一杯の告白だった。……邑姜は何も言わずしばらく無言の時が続いた。夕陽が地平線の彼方に沈みいこうかという頃になって、ようやく邑姜は口を開いた。
「昨日、武王に『妻になってくれないか』というお言葉を頂きました。……お受けしようと思っています。」
寝耳に水な話に太公望は言葉を失った……
「何故……?」
そう聞き返すのがやっとだった。
「私は羌族の統領の血を後世に伝えなければなりません。だから、あなたとは……」
それ以上聞きたくなかった。王天君と融合するときは体さえ手に入れば構わないと思っていたが、今はその融合したという事実が恨めしかった。十天君のリーダーとして数々の悪事に手を染めた体。思えばこの手が玉鼎や武成王、聞仲を死に追いやったのではなかったか?!そんな穢れた体で彼女と共に生きたいと願ったなどと思うと笑える。…おかしすぎて涙が溢れた。
「太公望さん…?」
急に俯いた太公望を心配したのか、邑姜が声をかけた。
「何でもない。すまんな、変な話をして…」
いいえ、と答える邑姜の声を遠くに聞きながら太公望が思ったのは。
(王天君と融合して髪が伸びていて良かった)
太公望のもとの体の髪の長さでは涙に濡れた顔を隠すことなど出来なかっただろうから。
(かなり、本末転倒なことではあるがな)

 

太公望が邑姜の真意を理解したのはそれから数十年も後のことだった。周の国母となった女性の死に太公望は立ち会っていた。たった一人で。それが国母たる人の望みであったから。寝台に臥せった邑姜は皺がきざまれた顔に笑顔を浮かべて傍らに立つ太公望を見やった。――その姿は数十年前と少しも変わりなかった。
「来てくださって嬉しいです。…あまりの変わりように驚いたでしょう?あなたは少女の頃の私しか知らないから…」
確かにずいぶんと面変わりしていたが、聡明な瞳の輝きは昔と変わらないものであった。……とても死に瀕している者の目には見えないほどだ。
「いや…、それにしても話とは何かのう。おぬしがわざわざ呼び出すほどのことだから、よほどのことなのであろう?」
太公望の問いに邑姜は笑って答えた。
「ええ、とても大事なことです。…私はもうすぐ死にます。でも、死ぬ前にあなたに伝えておきたいことがあって…」
軽く息を吸って邑姜は言葉を吐き出した。
「あなたが好きです。出会った時からずっと好きでした。」
「なっ……?!!」
太公望は驚きのあまり声を洩らした。次の瞬間、やるせなさがこみ上げてくる。では、何故――
「では何故あの時、わしを受け入れてくれなかった?!」
悲鳴のような問いかけに邑姜は悲しそうに答えた。
「以前も話したとおり、私は羌族の統領の血を未来へと残さねばならなかったから…羌族では同族内での婚姻は認められていません。だから、あなたについて行くことは出来なかったのです。」
太公望は邑姜の返答にしばし呆然としていた。確かに羌族では同族内での婚姻は許されていない。しかし、封神された時点で太公望の羌族としての肉体は失われていたからたいして気にしていなかったのだ。まさか、邑姜が太公望のことを穢れていると思うどころか、誇り高き羌族の掟を破らせぬために拒否したとは……
「太公望さん」
邑姜の声に我に返った。その声は幾分苦しげなものになっていた。
「待ってろ、今医師を……」
「いいんです。」
言いかけた太公望の言葉を邑姜は遮った。
「もう遅いのですから。それよりも聞いてください。」
徐々に小さくなっていく邑姜の声を聞き漏らさぬように太公望はその口許に耳を近づけた。
「もしも、あの時の言葉が今も…有効なら、どうか…私を見つけて、迎えにきてください。きっと姿も変わってるでしょうし、何も覚えていないかもしれません。…それでもあなたを愛する気持ちは変わらない筈だから…」
それが転生した後のことだということが太公望にも解った。邑姜の額に唇を寄せて答える。
「分かった、約束しよう。わしもおぬしを好いておるからのう。」
しかし、本当に見つかるかのう、と茶化したような太公望の言葉に邑姜は……


「大丈夫、きっとまた会えます。これが最後の言葉であったな。」
太公望のむかしを懐かしむ口調に邑姜は笑って言った。
「でも、本当のことになったでしょう?」もう、何かが足りないと思う心はどこにもなかった。目の前の「彼」こそがその「何か」であったのだから。
「今度こそ連れてって。」
一瞬親しい人たちの顔が浮かんだけれど、もうこの手は離せない。
(ごめんなさい。そしてさようなら)
心の中で別れを告げて。邑姜は三千年の時を越えた恋人に微笑みかけた。

 

- 終 -


作者コメント>
えーと、長いだけの代物になってしまいました(汗)一応太X邑でございます。なんか途中で語り手の視点が替わっていて非常に読みづらいですが、楽しんでいただけたら光栄です……

KAMIKAMII's COMMENT
エリコさんより頂いた、太公望×邑羌小説です。ありがとうございました〜v 読みづらくなんてありませんよ。すっごい楽しかったですよ!! 私のツボにストライク(笑) 太公望のプロポーズと邑羌の逆プロポーズが見れて幸せです。
太公望も邑羌も真面目だから、恋愛成就に三千年もかけるとは!! 真面目なのも考えものですね(笑) だけどとてもステキです〜☆ 
そうそう、フジリュー番では仙人はとても緩やかに歳を取るらいので、三千年ぐらいたてば1センチぐらいは身長伸びたかな? 邑羌ちゃんに確認してもらいたいものです(笑)
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