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FROM
AMBROSIA-sama
「誘惑」
※T.M.Revolutionの”Burnin’ X’mas”を聞いてから、 あるいは聞きながらお読みになって下さいませ(物書きとして反則技…)。
最近ハニーが冷たいの、という蝉玉のグチはかなり理不尽だ。そもそも土行孫が蝉玉に冷たいのは別に最近のことじゃない。蝉玉のほうが勝手に一方的に惚れ込んで追いかけ回しているだけなのだから。まあ、土行孫もいい加減にあきらめてしまえばいいのに、というのが周軍内部のほぼ統一した見解なのだが。
「ねーえ、天化、聞いてるのー?」
「…聞いてるさ」
とりあえず天化は、周囲の人々とは少しばかり見解を異にしている。
「それでね、ハニーったら…」
またしても一方的にグチり始める蝉玉の声を、天化は左の耳から右の耳へとあっさり素通りさせる。なにしろ、蝉玉はここ数日毎晩、夕食後には天化のテントに押し掛けて同じ内容をまくしたてるのだから。そのかわりと言ってはなんだが、敷物の上に座った彼女の、超ミニのスカートから遠慮なくむき出しになっているナマ脚をついじっくりと鑑賞してしまい、何だか得した気分になった直後に自己嫌悪に陥ったりしていた。
「だから、何でそゆ事を毎晩、俺っちに言いにくるさ?」
「だって、天化にしか話せないんだもん」
ああ、お袋、俺っちはこんな悪魔に引っかかってしまったさ…
思わず天化は、心の中で黄泉の母親に向かって嘆いてしまった。
土行孫ではなく蝉玉にあきらめてほしいのだ、天化は。けれど当の蝉玉はこの通り、毎日「ハニーが冷たい」と嘆くので、天化のほうがあきらめようとすれば、これである。
「あたしがこんなに好きなのに、ハニーってばあ!」
その台詞、そっくりお前に返すさ…と、言えない自分が恨めしい天化であった。
「もー聞いて天化!ハニーったら、あたしの事ストーカー呼ばわりするのよっ」
そう言いながら、何の前触れもなく蝉玉がテントに飛び込んできたので、こっそり酒を飲んでいた天化は思いっきりむせてしまった。
「ゲフ…の、ノックぐらいするさっ!」
「あ!天化ったらお酒なんか飲んでる!武成王に言いつけるわよっ」
「…う」
思わずうろたえた天化に向かって、この小悪魔めいたオンナはニヤリと笑った。こんなに可愛い容姿なのだからにっこりと形容したかったが、どう見てもニヤリだった。
「告げ口されたくなかったら、あたしのグチ、聞き役になりなさーい」
それが数日前のことだ。
さんざんノロケなんだかグチなんだかわからない長広舌を聞かされて、やっと出てってくれた(それはそれで天化には寂しいことなのだが)と思えば、次の夜も次の夜も、テントに押し掛けて来る。そして言うことといえば「ハニーが冷たい」。
彼女は何を考えているのだろう。夜中に男の部屋に来て、平気でナマ脚(ときにはスカートの中まで!)見せてしゃべりまくって、思い切り勝手にふるまって帰っていく。天化の心だけかき回して。
別に飲酒をチクられるのは怖くない。周公旦の小言くらいは覚悟しなくてはならないだろうが、後はせいぜい父親にコツンとやられるくらいだろう。
そう、何だかんだ言っても、天化は蝉玉が来てくれるのが嬉しいのだ。けれどいつも蝉玉が一方的に、土行孫のことを嘆くばかりで、ええかげんにせえと怒鳴ってやりたくもなる。だがそれで蝉玉が来てくれなくなるのもイヤだ。
大いなるささやかなアンビバレンツに陥ってしまった天化は、こっそりと何度目かのため息をついた。
「あのさ、天化」
気がつくと、蝉玉が目の前に膝をついて、顔をのぞき込んでいた。
「何さ」
動揺を押し隠して、わざと不愛想に答える。
「あたし、帰るんだけど」
「…?」
「あのさあ、送ってくんないの?ずーっと言おうと思ってたんだけど」
自分はかなり間抜け面をしているに違いない、と天化は思った。
夜の宿営地は肌寒かった。所々に見張りの兵士が立って、武成王の息子とケ九公の娘に頭を下げてみせる以外はすっかり寝静まっている。
「信じらんないっ、女のほうから頼まなきゃ送ってくんないなんて!」
「お前を襲う男がいるもんかい」
…襲いたいと思っても実行に移す度胸と甲斐性のない男なら約一名いるが。
怒るかと思ったが、蝉玉は天化には意味の分からない顔をして言った。
「ふうん…あんたがそう言うの?」
ぎくり。と天化の心臓はジャンプした。
蝉玉は自分の心などとっくに知っているのかも、と天化は(かなりウカツなことに)今になってやっと気付いた。しかしとりあえずこの年代の少年に特有のぶっきらぼうな態度で言い返す。
「何が、俺っちが、なのさ」
「べっつに〜」
表情にこそ出ないが天化は思い切り困惑してしまった。
「どうい意味さ、その"別に"は」
「別に。あんたならオンナノコを夜中に一人で帰したりしないと思ってたのに、ってことよ」
「…そういうモンなのさ?」
師匠の道徳真君は剣や体術や礼儀一般は教えてくれたが、"そういうコト"は全然伝授してくれなかった。
…しまった、かもしれないさ…
蝉玉の前で、かなりオトコを下げてしまった。例によって表情には出ないが、天化はとてつもなく狼狽した。
「モグラのやつは…」
「え、ハニー?」
今更ながら「ハニー」という呼び方にグッサリきてしまう天化である。
「モグラのやつは、ちゃんと送ってくれてるのさ?」
「そりゃ…あ、ここでいいよ、天化」
蝉玉が答えかけたとき、ちょうどケ九公父娘のテントに着いてしまった。蝉玉がまたしてもニヤリと笑って、小型爆弾並みの台詞をぽろりと放り出した。
「天化、寄ってく?」
「…へ?」
ああ、また蝉玉の前で間抜け面してしまった、そう思ったのと同時に彼女の言葉の意味を理解して、天化はまたしてもアタマが混乱した。
「パパのお酒があるよ。一杯くらい飲んでけば?天化のパパには内緒にしといてあげるからさ」
…お袋、これは"すえぜん"とゆうやつさ?
だけど、もしケ九公にバレたら大変だし…とかいうフラチな考えが天化の脳裏に浮かんだが、けれど今自分はさんざんオトコとしてなってないと罵られたばかりだし、誘われるほど自分がちゃんとした男だとも思えないし、いや、第一蝉玉はモグラ一筋で、他の男に誘いをかけるようなオンナじゃない(と思う)し…
あまりにもたくさんの考えが同時に脳内をグルグル駆けめぐったせいで表情も口調も定まらぬまま、甲斐性のカケラもないことを天化は口走った。
「いや、もう遅いさ。それに…」
そんな台詞を口にすると、自信はますます失せてゆく。
「蝉玉が困るさ?モグラに誤解されたら…。じゃあ、俺っち帰るから」
彼女の返答も待たずに身を翻して去る。背中ごしに、そうかもね、おやすみ、という声が聞こえたような気もした。
…完全失恋かも知れないさ、お袋…
何のかのといっても土行孫は女にはちゃんと優しいのだ。たぶん、蝉玉が押し掛けて来れば帰るときにはちゃんと送るくらいのことはするのだろう。蝉玉にだけではなくて、きっと女にはみんなそういうふうに優しいのだろうが。
自分はといえばこの有様で。一人前の男として女を扱うすべも知らず、好きな女の子の招きも、誘いなのか単なる好意なのか見分けることさえ出来ず、気の利いたことも言えず、逃げるように帰ってきてしまった。
…きっと、もう見切りつけられちまったさ…
あの招きが誘いだとしたら(あまりそういう可能性はないと思うのだが)、天化の反応は蝉玉をあきれさせたに違いないし、好意だとすれば、彼女を傷つけてしまった。
もう愛想を尽かされただろう、男としても、単なる友達としても。
天化はその夜、眠れなかった。
次の晩に蝉玉は来なかった。その次も、また次の晩も来なかった。
もうダメなんだと思いつつ、それでも彼女を待って、遅くまで起きてしまう自分が天化は悲しかった。
蝉玉の来ない夜がさらに数日続くと、天化もほろ苦い気持ちとともにその事実を受け入れるしかなかった。
…お袋、やっぱり俺っちは失恋しました。
久しぶりに隠れて酒を飲み、ほろ酔いの天化は誰はばかることもなく独りため息をつくと立ち上がった。月見の散歩でもしたい気分だった。
ま、最初から横恋慕だったけどさ…
酒の酔いとおセンチな気分の両方に浸りつつ、テントを出ようとした天化はその場でフリーズした。
「あっれー?天化ったら、またお酒飲んでるのー?」
超ミニのスカートからすばらしいナマ脚を容赦なく見せつけて、悪魔のような女が立っていた。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥蝉玉」
天化はうろたえるよりも先に理解した。
…このオンナ…確信犯さ…
これは誘惑だ。最初に蝉玉がテントに飛び込んできた時から、天化はゆっくりとからめ取られたのだ。
やられた、見事に。
「入れてくんないの?」
天化は黙ってテントの布を押し上げたまま脇によけた。天化の横を通る瞬間に蝉玉は笑った。
…お袋、俺っちはこんな悪魔にまんまと捕まってしまったさ…
せめて兄貴と弟たちは、こんな悪いオンナに引っかからないように守ってやって下さいと、こっそり祈ると、天化は布を下ろして室内を振り返った。
「…今夜は、送る必要ない、さ?」
蝉玉はまた笑った。…やっぱりニヤリとしか見えなかったが、天化にはその笑みすら、酒よりも甘く魅力的な酔いをもたらしてくれるように思えた。
- 終 -
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