【一頁】
私と燃燈はもっとも親しい友だった。だから、あいつが何も言わずとも気づいていた。燃燈が異母姉に恋心を抱いていた事に・・・。
もともと激しい気性の男だったが、自制心は人一倍強く、仙人としての実力も折り紙つきで思慮深かった。一二仙の筆頭としても一人の男としても、誰からも一目置かれていた。
そんな彼が彼らしくない事件をおこした事があった。
それはまだ年若い道士たちの、会話を我々が偶然耳にした事が原因だった。
「なあ、竜吉公主の話を聞いたか?」
「知ってるぜ! また新しい男だってな」
「この間、天人との噂がたっていたばかりじゃないか。」
彼らは私たちに気づいていなかった。だがそばにその天女の弟がいて、また竜吉とも親しい友だった私は、その若い道士達をいさめようとした。その時、
「天界を追放されても、そっちはおさえられないらしいな。上品な顔をして、お盛んなことだ」
「ふるいつきたくなるほどの美人だからな。お相手願いたいもんだ」
「よせよせ、お前なんかじゃ相手にされんだろうよ」
「ふん。・・・案外、燃燈道人ともできてたりしてな。弟に抱かれてい」
突然、その道士が私の視界から消えた。会話の途中でその道士は、燃燈に殴られ弾きとばされたのだ。
「!! よせ燃燈!!」
しかし私が制止しようとした腕を振り切って、燃燈はその倒れた道士に近づいた。そしてその道士の胸元を踏みつけた。鈍い音が、妙に大きく響いた。
「私と、姉が、なんだと。もう一度言ってみろ」
「よさないか!!」
骨を折られた道士はすでに白目を向いて気絶している。だがなお燃燈は、踏みにじり続ける。
「言え!! 私と姉がどうしたと言うのだ!!!」
「燃燈!!! やり過ぎだ、落ち着け!!」
私は燃燈まの肩をつかんで無理やりこちらを向かせた。視線があうと、燃燈は我にかえったようだった。
「あ・・・」
彼は自分のした事に我にかえり、足下の道士を見やるとぼう然としていた。私はもう1人のおびえている道士に声をかけた。
「おい、はやくその道士をつれていけ。手当てしてやってくれ」
「はっ・・・はい!!」
あわててその道士は仲間をつれて行ったのを見届けて、燃燈に声をかけた。
「らしくないぞ。姉を悪し様に言われて、その気持ちもわかるが・・・私が止めねば殺していたぞ。あれはやり過ぎだ」
「すまない・・・・・・」
それきり、燃燈は黙り込んでしまった。
私は正直驚いていた。燃燈は自分にも他人にも厳しい男だったが、明らかに力の劣る者や目下のものに、すぐに暴力をふるうような男では決してない。それが我を忘れるほどの激昂。私は不安を抱いたが、だが燃燈の気持ちを察するだけに、それ以上何も言えなかった。
その事件はそれだけでは終わらず、翌日私は玉虚宮の主に呼び出された。呼び出された理由は想像どおりだった。
「玉鼎真人よ、昨日の事件について聞きたい。燃燈道人に弟子が、ささいな会話が原因で重症を負わされたと、師の仙人から訴えがあった。燃燈道人に問いただしたが、全面的に認めるのみで何もいわぬ。・・・おぬしはその場にいたそうじゃな」
ささいな会話。確かに彼らにはそうだったのかもしれない。だが。
「はい。ですが"ささいな"というには、道士たちの会話は目にあまりましたが」
「どんな会話じゃ?」
内容が内容だっただけに、とっさに私は言葉に窮した。しかし私が口をつぐめば、かえってあの姉弟の名誉を傷つける事になるだろう。
「竜吉公主をふしだらな女だと。・・・そして燃燈とも関係があるのではと」
そう私がいうと、元始天尊様は長く重いため息をついた。
「元始天尊様、ですが竜吉公主は世間で噂されているような女性ではありません。燃燈も、」
「そんな事はわかっておる。やれやれ・・・あの馬鹿弟子め。そんな事ではないかと思ったわ」
「燃燈をどう処分されるおつもりで?」
「・・・しばらく謹慎じゃな。双方に非はある。この事は内密に処理する。お主も口をとざすように」
本来なら、もっと厳しい処置がとられても仕方がなかっただろう。燃燈は先人として、模範的立場にあるものがやりすぎた。だがおそらく、竜吉公主に配慮されたのだろう。噂話が好きなものたちに、あらぬ話題の種をまかぬように。師の配慮に深く感謝した。
私は一礼して、その場を引き上げた。反響の強い廊下を歩いているせいで、その後の元始天尊様の言葉に気づく事はなかった。
「やれやれ、不敏な姉弟じゃ……」
「玉鼎!! 玉鼎はいるか!!」
突然の大きい声に、私は飲んでいた茶を危うく落とすところだった。
「竜吉……君は、いつも突然やってくるな」
不意の来訪者を、私は苦笑で迎え入れた。思い立った時にふらっとやってくるのは、彼女の常だったが、この様な来訪の仕方は珍しい。
「さきほど燃燈を尋ねたが、謹慎中だと言い会ってくれぬ。理由も言わぬ。おぬし理由を知っておるか!?」
なるほど。それでここに、こんな時間だというのにかけつけてきたという訳か。すでに日が落ちている。もし他の者がいたら、噂の一つや二つたっていた事だろう。だが現在、この道祠に弟子はいない。皆、仙人の称号を持ち一人立するか、志なかばに下山していった。
「知っている。……まずは座りなさい」
「何故謹慎しているのだ!! 燃燈は何をした!?」
「座りなさい」
とにかく落ち着かせようと再度促すと、しぶしぶと竜吉は進められた椅子に座った。彼女に茶をいれて、正面に座ると、促すようにこちらを見てきた。
「本当は元始天尊様に口外するなと言われているのだが。昨日、燃燈が道士を傷つけてね。私が止めなければ、もう少しで殺すところだった」
すると竜吉は、眉宇をひそめた。
「でも……何か、理由があったのだろう? 燃燈が理由もなくその様な事をするはずがない」
「理由はあったよ。やり過ぎたが」
竜吉はいらだったように叫んだ。
「玉鼎!! だから、燃燈はっ!!?」
この事を話すのは気が重かった。元始天尊様よりの指示もある。だが、話さなければこの仙女は、しつこくくいさがってくるだろう。嘘が通じるとも思えない。それに・・・ちょうどいい機会かもしれない。
「竜吉、自分の噂を知っているか?」
そう切り出すと、竜吉は一瞬口をつぐみ視線を反らした。室内を灯す火の光が、その面をさびしげに照らす。
「………大体は知っておる。口さがない連中のひまつぶしの種にされているだけの事。気にはせぬ」
そうはとても思えなかった。彼女が沈んで見えるのは、部屋の暗さだけが原因ではないだろう。
「燃燈は、そういうわけにもいかないようだったな。…………君は、いったい何を考えているんだ?」
「え…?」
「世間で噂されているような事を、私は勿論信じてはいない。でも、君は誤解されるような事ばかりしている」
私は静かに竜吉の顔をのぞき込んだ。わずかな感情の揺れを見逃さないように。彼女は目を見開いて、私を見つめた。
「いいよる男はうわついたものから真剣なものまで星の数ほどいるが、君はそのどちらも拒絶しない」
「玉鼎」
「でも受け入れる事もしない。つかみ所のない水のようだ。私達のつきあいは長いが、それだけがどうしてもわからない」
「私は」
「竜吉を友人だと思っている。だからずっと気になっていた」
そう、心配していた。竜吉は本来はっきりと自分の意見をいう性分だ。優雅な立ち居振る舞いの中にも、芯の通った強さがあり潔ぎよく、そんなところに私は好感を持っていた。
なのに、いいよってくる男達に関してだけ違うのだ。最初は相手にせず、流しているだけなのだろうと思った。またはにくからず思っているのかと。しかしそのどちらも違うのだ。流されるまま流れていく、そんな感じだ。
そんな彼女に男達は最初、いいふうに誤解するのだが、やがて気づき離れていく。彼女に真剣に愛をささやいていた者たちは、皆傷ついていた。男をもて遊んでいる、と言われても仕方のない事だろう。でも……身近に彼女を見ていると、それ以上に傷ついているのは彼女自身のように思えてならない。
「自己嫌悪しているくせに、なぜ同じ事を繰り返す」
竜吉はこわばった顔で、何も言わない。まばたきを忘れたように、くいいるように私を見ている。彼女の机の上に置かれた手は、固く握られている。その手に私は、自分の手を重ねて、つとめて優しく話しかけた。
「君が心配なんだ。何を抱えているんだ? 私に話してくれないか…………力に、なりたいんだ。私では力になれないだろうか。例え及ばなくても、話をきくぐらいできるさ」
すると竜吉は唇をかみ、うつむいた。だが、頬をつたう滴を灯火が美しく彩って、彼女が泣いている事がわかった。
彼女はもう一方の手を、私の重ねた手にさらに重ね、震える声で応えた。
「ありがとう……だが言えぬ…言えないのだ、玉鼎」
「なぜ」
しかしその問いには、彼女は首を横にふるばかりだった。なんとか聞き出そうとどんなに言葉を重ねても、何も話さない。何かを思い詰めて苦しんでいる、それだけはわかったが、彼女の涙の拒絶の前にそれ以上知るすべがなかった。
「わかった…もう訊かない。だけど話したくなかったら、いつでも私に言ってくれ。燃燈も君の事を心配していたよ」
少しでもなぐさめようと燃燈の名を出した時、重ねた彼女の手の感触がこわばった。そしてようやく、涙の残る顔を上げた。
「燃燈は・・・燃燈は、なんと?」
「姉が何かに苦しんでいるのに、力になれない事を悔しがっていた。君は、燃燈の前では特にそれを隠したがるから尋ねる事もできなかったが、あいつは気づいている。昨日、燃燈が殺しかけるほど怒った理由も…道士が、君のよからぬ噂をしていたからだ」
そう言った時、私は思わず目をみはった。なぜならその時、竜吉の面に浮かんだ表情は……!!
竜吉ははっとして、急に立ち上がり、私に背を向けた。
「竜吉……」
まさか!
「今日はありがとう。そしてすまなかった。もう、すっかり遅くなってしまった、帰ります…」
そう言うと、私が何も言う間もなく、足早に帰ってしまったが、私は後を追いかける事も、声をかける事も出来ないほど動揺していた。今の竜吉の表情、あれは一瞬とはいえ間違いなく--------"喜び"だった。
「嘘だろう……君が……」
あまりに予想外の事に、それ以上何も考える事はできなかった。
窓から竜吉が帰っていく姿が見える。月は、そんな彼女を優しく、そして寂しい光で見守っていた。その様子を私はぼう然と見送っていた………。
竜吉のその表情が脳裏にやきついて、その夜はなかなか眠る事ができなかった。
今まで、竜吉が燃燈を男として見ているなど考えた事もなかったのだが、そう改めて考えて見ると色々と思い当たるふしがある。竜吉は私のところによく訪ねてきた。その理由は「ひまだから」とか「近くまできたから」とか、「玉鼎のいれた茶が飲みたい」(茶は私の趣味だ)など様々だった。しかし、そういう時は、必ずといってもいいほど燃燈がいる時だった。
我々三人は、非常に親しいつきあいをしていたと思う。私は他の者にはいえない話でもこの二人にはできたし、筋金いりの頑固もので生真面目で、一人で全て処理しがちな燃燈も私には相談をもちかけてきた。竜吉も非常に砕けた様子で私たちに接していた。なのに、竜吉が頑ななまでに隠そうとする事。
それが燃燈に思慕をよせているためというなら、納得できる。…………誰にも、私たちには特に言えなかっただろう。いいよる男たちとの事も、弟への思慕を忘れようとする、竜吉なりの行動だったのかもしれない。
明るくふるまう中で、ずっと苦しんできたのか。それを思うと、哀れでならなかった。こんな近くにいながら気づいてやれなかった己のうかつさに、ため息がでる思いだ。
しかし、気づいてしまったら気づいてしまったで、困った事になった。あの姉弟は外見も性格も、一見正反対のように見えるのだが、その内に激しい心を持っているという所はよく似ていた。もし、彼らがお互いの気持ちを知ってしまったら、罪だと知りながらきっと求めあってしまうだろう………そして、そして傷つくのだ。特に燃燈は自分自身をせめて許せないにちがいない。やつはそういう男だ。彼らが姉弟でなかったらどんなによかっただろ。私はなんのてらいもなく、二人の背を押せるだろうに。